本記事では「情報弱者って何?」という疑問にお応えします!
本記事のポイント
- どんな人でも情報強者であり、情報弱者でもあります
- お互いに強みと弱みがあって支えあっているという理解が大切です
情報弱者ってなんだろう?
講演業、執筆業を行っていると、「情報弱者を相手に商売している」という陰口を見聞することがあります。
陰口は下品だけども、人にはあえて下品なことする自由があるので、このこと自体はいっこうに構いません。
ただ、気になるのは情報弱者って何だろうってことです。
情報弱者とは「有益な情報を得られない人、得たとしてもその情報に対して適切に対応できない人」(引用元)だそーです。
でも、かりに情報弱者がこういう意味だとすると、ぼくも含めて誰でも情報弱者の側面をもっていることになります。
例えば、ぼくは最近、機械学習やディープラーニングなどを独学しはじめていますけども、かなりの確度で情報弱者で、しかもなかなかできることが増えません。
最初は、機械学習とディープラーニングの違いすらわからなかったし、独習するにしてもどの文献がよいのかもまったくわかりませんでした。
この領域の情報強者からみれば、ぼくは単なるアホです、アホ。
他方、作業療法、信念対立解明アプローチになると、ぼくはおそらく「情報強者」です。
他の作業療法士が知らないことでも知っていることがあるし、研究を通して現在のところぼくしか知らないことも知っています。
さすが、博士(作業療法学)の取得者。
万歳!
となればよいんですが、ことはそう単純ではありません。
情報弱者と情報弱者は連続している
なぜなら、同じ作業療法でも医学モデルの基礎系になると、ぼくはからきし弱くなり、瞬く間に「情報弱者」になっちゃうからです。
こうしたことからわかるのは、同一の個人の中にも情報弱者と情報強者の側面があって、その連続線上でうろつきながら生活しているということです。
一見すると「情報弱者」の人でも、その人がよく知っており、情報を有益に活用できていることがあるかもしれません。
同様に「情報強者」の人でも、全知全能の神ではない限りにおいて、ぜんぜん知らない領域は必ずあるし、そういうところになると情報をうまく使えなくなるものです。
そう考えると、講演業、執筆業に対して「情報弱者を相手に商売している」という陰口はむしろ褒め言葉なのかもしれない、と思うわけです。
だって、ぼくたちはお互いに強みと弱みがあって、強みを活かして他者を支援していることになるわけですから。
-
-
二分法思考に陥らないように
ぼくたち人間は簡単に二分法思考に陥ります。 二分法思考は、物事をシンプルにする利点があるものの、その反面で生きづらさに直結しています。 世界は予定調和通りにいかないのに、二分法思考は世界が白と黒ででき ...
続きを見る
もちろん、それを理由に無知な人を喰いものにするのは駄目ですけども、そういう営為はまったく別の問題なのでごっちゃにする方がおかしいわけです。
ちなみに、こうやって視点を動かしていきながら、見える世界を少しずつ変えていく方法を信念対立解明アプローチと言います。