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作業療法
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建築士バートンが作業療法を提唱した経緯【らいすたダイジェスト版】

京極真
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本記事では「作業療法は建築士が提唱したと聞きました。作業療法士は医療職というイメージがあるので、建築士によって提唱されたという事実に驚きました。どんな経緯で建築士が作業療法を提唱することになったんですか?」という疑問にお答えします。

こんな方におすすめ
  • 建築士バートンが作業療法を提唱した経緯を知りたい人
  • バートンはアーツ・アンド・クラフツ運動から作業療法を生みだしたと思いこんでいる人

本記事を書いているぼくは作業療法士であり、作業療法学の博士号も持っていますので、この領域についてはわりと詳しいです。

また、作業療法に関する研究論文もたくさん書いており、標準的な教科書もいくつか執筆しています。

現在、OBP2.0と言う新しい作業療法理論の体系化にも取り組んでおりまして、作業療法の成立条件についてはかなり解き明かしているところでございます。

しかも、ちょうど上記の疑問にそったテーマで2018年12月26日19:00からLive Studyでお話ししました。

本記事ではそんな僕が、建築士のバートンが作業療法を提唱するに立った形についてさくっと紹介します。

なので、本記事は2018年12月26日19:00Live Studyのダイジェスト的位置づけとしてご理解くださーい。

建築士バートンが作業療法を提唱した経緯

上記の動画でも解説していますが、一般な教科書では、建築士バートンはアーツ・アンド・クラフツ運動から作業療法へと展開したと説明されていますが、実はそんなに単純ではありません。

教科書の記載はそうとうショートカットした内容でして、実際にはかなり複雑なプロセスを経たものになっていますし、今から考えると信じられないような考え方がバートンの作業療法のベースにはあります。

建築士のジョージ・エドワード・バートンは全米建築士協会副会長でしたが、アーツ・アンド・クラフツ運動を率いるウィリアム・モリスから直に学び、ボストンのアーツ・アンド・クラフツ運動協会事務局長も務めていました。

アーツ・アンド・クラフツ運動は作業療法の源流のひとつであり、意味のある作業が健康と幸福を改善するという命題のもとで、障害者、高齢者、貧しい子どもたちの支援活動が行われていました。

建築士バートンはアーツ・アンド・クラフツ運動の担い手として頑張っていましたが、結核→凍傷による下肢切断→ヒステリー性左半身麻痺などさまざまな障害に襲われて、建築士として働く道を断念しました。

当時のアメリカはマッキンリー大統領暗殺事件などがあって科学の力で医学を発展させようという機運が高まっていましたが、社会的には水治療、安静治療など代替医療が興隆しており、標準医療 vs 代替医療という信念対立が起こっていました。

標準医療は科学の力で医学を研究・実践するものであり、当時は心理的、社会的、霊的な事象を排除し、科学であつかえる事象にのみアプローチするという力動をもっていました。

標準医療には、代替医療に対する批判という側面があったので、代替医療が重視する曖昧な事象(心理的、社会的、霊的)を排除するしかたで発展しようとしたのです。

そうした社会情勢を背景に、バートンは自らの障害を治療するために、標準医療ではなく水治療などの代替医療を選びました。

それと同時に、バートンはアーツ・アンド・クラフツ運動をベースにした自身の治療や他者の支援活動にも取り組みました。

しかし、代替医療はバートンが期待するほどの効果を出せませんでした。

そんな中、当時、アルコール依存症などの精神障害の治療で効果があると期待されたエマニュエル運動にバートンは出会います。

エマニュエル運動は宗教と医学を融合させたものであり、クライエント中心で、ホリスティックであり、地域社会に根ざした総合的なアプローチであり、何よりも生産的な作業が健康と幸福を改善するという考え方を備えていました。

その後、彼は患者としてエマニュエル運動を主導するウースターから治療を受けました。

バートンはウースターのススメもあって、1914年にConsolation House(安らぎの家)を設立し、作業療法の元になる実践に取り組みはじめました。

そして、同年12月28日に作業療法を提唱するに至ったのです。

つまり、建築士バートンが作業療法を提唱した経緯は①バートン自身の障害体験、②アーツ・アンド・クラフツ運動、③エマニュエル運動、という3つの偶然が互いに重なり合ったものだったと言えるでしょう。

以上、建築士バートンが作業療法を提唱した経緯の概要です。

2018年12月26日19:00Live Studyでは、さらに建築士バートンが作業療法を提唱した経緯をさらに詳細に解説し、バートン作業療法のエッセンスについて説明しました。

また、建築士バートンの作業療法が成立する経緯がわかると、医学から作業療法に「非科学的」という批判が鋭く行われた理由も紐解きやすくなります。

資料はnoteでアップしているので、ぜひ資料を手元におきながら参加してください。

まとめ:建築士バートンが作業療法を提唱した経緯

本記事では「作業療法は建築士が提唱したと聞きました。作業療法士は医療職というイメージがあるので、建築士によって提唱されたという事実に驚きました。どんな経緯で建築士が作業療法を提唱することになったんですか?」という疑問にお答えしました。

建築士バートンが作業療法を提唱した経緯は、ざっくりいうと以下の3つにまとめることができます。

バートンが作業療法を提唱した経緯
  • バートン自身の障害体験
  • アーツ・アンド・クラフツ運動(社会改革運動)
  • エマニュエル運動(宗教と医学の融合)

2018年12月26日19:00Live Studyで解説した内容のダイジェスト的な内容になります。

作業療法の起源については以下の記事で紹介しています。合わせてどうぞ!

著者紹介
京極 真
1976年大阪府生まれ。Ph.D、OT。Thriver Project代表。吉備国際大学ならびに同大学大学院・教授。作業療法学科長、保健科学研究科長、(通信制)保健科学研究科長。首都大学東京大学院人間健康科学研究科博士後期課程・終了。『医療関係者のための信念対立解明アプローチ』『作業療法リーズニングの教科書』『作業で創るエビデンス』など著書・論文多数。
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