はじめに

正しさの衝突はなぜ人を壊すのか

京極真

人間関係で本当にしんどいのは、意見が違うことそのものではないと思います。

意見が違うだけなら、まだ何とかなることがあります。
どちらの案にするか。どの方法を選ぶか。どの順番で進めるか。こういう違いは、面倒ではあっても、条件を整理したり、役割を決めたり、時間をおいたりすれば、何とか折り合いがつく場合がある。

けれども、こじれるときは、もう少し深いところがぶつかっています。

相手の言っていることが間違っているだけではない。
相手の見ている世界そのものが、こちらには受け入れがたい。
あるいは、こちらが大事にしているものを、相手が平気で踏みにじっているように感じる。

こうなると、話は急に変わります。

会議で意見が割れる。家族で介護方針が合わない。医療職のあいだで、本人の希望を優先するのか、安全を優先するのかがぶつかる。教育の場で、厳しくすることが支援なのか、待つことが支援なのかで対立する。社会の中で、自由を守ることと秩序を守ることが衝突する。

表面だけを見れば、どれも「意見の違い」です。
でも、当事者の内側では、たいていそれだけでは済んでいない。

そこでは、自分が何を正しいと感じているのか、何を守らなければならないと思っているのか、どのような経験を背負っているのかが動いています。だから、相手の反対意見は、ただの反対意見ではなく、自分の生きている世界への攻撃のように響くことがある。

僕は、それを「信念対立」として考えてきました。

信念対立という言葉を使うと、何か専門的な概念の説明を始めるように聞こえるかもしれません。もちろん、哲学や理論として整理すればいろいろ言えます。構造構成主義や現象学、信念対立解明アプローチ、コンフリクトマネジメントを背景にして考えることもできる。僕自身も、そこにかなり長く関わってきました。

けれども、ここで考えたいのは、信念対立の定義ではありません。

なぜ、人はあれほどまでに傷つくのか。
なぜ、正しいことを言っているはずの人同士が、互いを壊しあうのか。
なぜ、協力したいはずの人たちが、気づくと相手の失敗をどこかで待つようになるのか。

信念対立の怖さは、相手が悪人に見えてくるところにあります。

最初は、少し合わないだけだったのかもしれません。あの人とは考え方が違う。進め方が合わない。少し言い方が強い。そんな程度だったものが、いつの間にか、「あの人は何もわかっていない」「あの人は無責任だ」「あの人は現場を知らない」「あの人は人の気持ちがわからない」という理解に変わっていく。

もちろん、本当に問題のある言動はあります。暴力、ハラスメント、不公正、差別、搾取。そうしたものを、すべて「信念の違い」で包んでしまってはいけません。そこは曖昧にしてはいけない。

ただ、信念対立が厄介なのは、多くの場合、当事者が自分のことを加害者だとは思っていないところです。

自分は患者さんのために言っている。
自分は学生の成長を考えている。
自分は家族を守ろうとしている。
自分は組織の責任を果たしている。
自分は社会の正義を守っている。

そう思っている。

だから、相手に否定されると、シンプルに意見を否定されたとは感じにくい。自分の責任感や誠実さや存在の仕方まで否定されたように感じます。ここで人は深く傷つく。

傷つくと、人は身を守ります。

相手の話を聞かなくなる。
相手の意図を悪く読む。
相手の小さなミスを大きく見る。
自分の正しさを確認してくれる人だけと話す。
陰で愚痴を言う。
表面上は合わせながら、内側では関係を切っていく。

こういうことは、たぶん誰にでもあります。僕にもあります。

信念対立は、怒鳴り合いや露骨な対立として出るとは限りません。むしろ、本当に人を疲弊させるのは、静かな信念対立の方かもしれない。

会議では何も言わない。
でも、終わった後に「あれでは駄目だ」と別の場所で言う。
本人には笑顔で接する。
でも、その人の話になると場の空気が少し重くなる。
何か提案されても、「どうせ無理だ」と最初から諦める。

表面は平和です。
けれども、内側では関係が少しずつ腐っていく。

僕が信念対立を人間関係の中でも問題だと考えているのは、このためです。対立そのものよりも、そこから生まれる諦め、冷笑、孤立、無力感が人を壊していく。

この壊れ方は、派手ではないかもしれない。

ある日突然、すべてが崩れるというよりも、少しずつ声が出なくなる。相談しなくなる。期待しなくなる。相手にわかってもらおうとする気力が消えていく。自分が大事にしていたはずの仕事や関係や役割に、どこか冷めた気持ちで向き合うようになる。

医療や福祉の現場では、これが患者さんや利用者さんの生活に影響します。教育の現場では、学生や子どもの可能性に影響します。職場では、仕事の質だけでなく、人が働き続ける力に影響します。家族では、親密さの名のもとに、互いの自由を削っていくことがある。

しかも、信念対立は権力差と結びつくと、さらに厄介になります。

強い立場にいる人の正しさは、ただの正しさではなくなります。制度、評価、処遇、空気、常識のようなものを背負うからです。上司の「普通はこうでしょう」、教員の「研究とはこういうものです」、医師の「治療方針です」、親の「あなたのためを思っている」は、内容以上の力を持つことがある。

弱い立場にいる人は、反論できないまま、自分の感じている違和感を飲み込む。飲み込み続けるうちに、自分の方がおかしいのではないかと思いはじめる。

これは、かなりきつい。

人が壊れるのは、相手に負けたときだけではありません。自分の見ている世界を、自分でも信じられなくなったときにも壊れていきます。

「自分はおかしいのだろうか」
「この違和感は、ただのわがままなのだろうか」
「皆が平気なのに、自分だけ苦しいのはなぜなのか」

こういう問いが内側で回りはじめると、人は少しずつ足場を失っていきます。

信念対立は、事実をめぐる争いのように見えて、実際には足場をめぐる争いでもあります。自分が何を信じ、何を頼りにし、何を根拠にして世界に立っているのか。そこが揺さぶられる。

だから、信念対立は人を深く傷つける。

ただし、ここで取り違えたくないことがあります。

信念対立を考えることは、相手の正しさを何でも受け入れることではありません。自分を押し殺して、相手の世界に合わせることでもない。対立を丸く収めるために、痛みをなかったことにすることでもありません。

むしろ逆です。

何がぶつかっているのかを、できるだけ丁寧に見る。
自分は何を守ろうとしているのか。
相手は何を失うことを恐れているのか。
その場の制度や役割や歴史は、どの正しさを強めているのか。
どの言葉が、誰の足場を奪っているのか。

そう考えないと、信念対立はすぐに人格批判へ流れます。

あの人はわかっていない。
あの人は未熟だ。
あの人は冷たい。
あの人は頑固だ。

たしかに、そう言いたくなることはあります。
僕も、そう言いたくなる場面はたくさんある。実際に言ってしまったことも多々ある。

でも、人間をそこで止めてしまうと、信念対立は深まるばかりです。相手の人格に原因を置いた瞬間、自分の正しさは安全地帯に逃げ込みます。自分が何を前提にしていたのか、自分の正しさが誰かを傷つけていないか、そこを問わなくてよくなる。

それは楽です。
けれども、たぶん危ない。

信念対立を考えるというのは、人間の正しさがどれほど不安定で、どれほど強力で、どれほど人を支え、同時に人を傷つけるのかを見ることです。

正しさがなければ、人は生きにくい。
何でも相対化してしまえばよい、という話でもありません。
人には守らなければならない価値があります。譲ってはいけない線もあります。

しかし、自分の正しさがいつも正しいかたちで働くとは限らない。

ここに信念対立の難しさがあります。

僕は、信念対立をなくせるとは思っていません。人が生きる以上、正しさはぶつかります。自分のなかで異なる正しさがあるだけでも生じます。もちろん、他者がかかわる家族でも、職場でも、医療でも、教育でも、社会でも、それは避けがたい。

ただ、信念対立に飲み込まれるのか、それとも信念対立を通して人間の壊れ方を見るのかでは、少し違うのではないかと思っています。

相手を倒すことに向かうのか。
自分を消すことに向かうのか。
それとも、何がこの場をここまで苦しくしているのかを見ようとするのか。

この違いは、実践の中ではかなり大きい。

正しさの衝突は、人を壊します。
それは本当だと思う。

でも同時に、それは、人間が何によって支えられているのかを露わにすることもあります。どの正しさにすがっているのか。何を失いたくないのか。どの世界を守ろうとしているのか。

そこを見ようとするとき、対立は少しだけ別の顔を見せます。

もちろん、それで楽になるとは限りません。
きれいに和解できるとも限らない。
むしろ、見えてしまったからこそ、さらにしんどくなることもある。

それでも僕は、信念対立をただの人間関係のトラブルとして片づけたくない。そこには、人間がどう支えられ、どう壊れていくのかを考えるための、かなり生々しい入口があるからです。

正しさは、人を救うことがある。
同じ正しさが、人を壊すこともある。

その両方を見失わないでいること。
たぶん、信念対立を考えるというのは、そこから始まるのだと思います。

著者紹介
京極 真
京極 真
Ph.D.、OT
1976年大阪府生まれ。Thriver Project代表。首都大学東京大学院人間健康科学研究科博士後期課程・終了。吉備国際大学ならびに同大学大学院・教授(役職:人間科学部長、保健科学研究科長)。『この一冊でわかる!セラピストのための研究論文の書き方ガイド』(三輪書店)、『医療関係者のための信念対立解明アプローチ』(誠信書房)、『OCP・OFP・OBPで学ぶ作業療法実践の教科書』(メジカルビュー)、『作業で創るエビデンス』(医学書院)など著書・論文多数。
記事URLをコピーしました