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言葉が通じても、世界は通じない

2026.06.29
人間を考える

同じ言葉を使っているからといって、同じことを考えているとは限らない。

いきなりこんなことを言うと、「でも、日本語が通じているなら、だいたい意味も通じるでしょう」と思う人がいるかもしれない。

それは、もちろんそうである。

「明日の10時に来てください」と言えば、たいてい10時に来る。「そこのコップを取って」と言えば、だいたいコップを取ってくれる。

なので、言葉は通じる。

けども、それと世界が通じることは別問題である。

ぼくが言いたいのは、そういうことである。

同じ言葉でも、意味はふわふわ変わる

コミュニケーションの難しさは、意味が文脈で変動するところにある。

理由は、意味が一意にさだまらないので、何を話したらOKなのかわかるようでわからないからである。

例えば、「お前アホやろ」という言葉を考えてみる。

冗談ばかり言いあえる間柄で、相方が笑いをとるためにボケたところに、爆笑しながら「お前アホやろ」と言う。

これはボケを活かしたツッコミなので、特に問題にならない。

でも、部下がミスしたときに、上司が恫喝するように「お前アホやろ」と言ったらどうか。

同じ言葉でもぜんぜん違う。

こんな感じで、同じ言葉でも文脈が変わると意味が変動する。

さらにややこしいのは、その文脈自体も固定されていないことである。

例えば、冗談で言った「お前アホやろ」を、そこだけ切り取って、

「あの人、相手に『お前アホやろ』って言うような人なんですよ」

と別のところで話したら、途端に人をバカにした発言のように感じる。

文脈はふわふわ移ろっていく。

なので、意味もそれにともなってふわふわ変わりうる。

コミュニケーションの難しさは、こういう構造の元にある。

言葉だけではなく、生きている世界も違う

しかも、話は文脈だけでは終わらない。

あらゆる人間は固有の世界観の中で生きている。

ぼくはぼくの世界観を通してでしか他者と関われないし、他者もまた、その人の世界観を通してでしかぼくと関われない。

これはもうひっくり返しようがない。

「生きている世界観が違う→思考、感情、行動が違う」ということだ。

同じ言葉を聞いても、その人がこれまでどんな経験をしてきたかによって受け取り方は違う。

例えば、「ありがとう」と言われたら、普通は感謝されたと受け取るだろう。

けども、善意は悪意の発露である、という強烈な体験を繰り返してきた人なら、「何か裏があるのでは?」と受け取るかもしれない。

こちらは普通に「ありがとう」と言った。

相手も「ありがとう」という日本語を知っている。

言葉は通じている。

でも、そこで立ち上がっている世界はぜんぜん違う。

だから、何度説明しても、丁寧に話しても、わかりやすく伝えてもかみあわないことがある。

そういうときに、「同じ日本語を使っているのに、なんでわからないんだ」と思ってもしょうがない。

そもそも、生きている世界が違う可能性があるからである。

状況と目的が違えば、意味も変わる

もうひとつ大事なのは、状況と目的である。

コミュニケーション能力とは、ちょー簡単に言えば、状況と目的にあわせて柔軟に対応できるチカラである。

同じ言葉でも、誰が、誰に、どんな状況で、何のために、言ったのかによって意味が変わる。

例えば、仕事で担当者に何かお願いしたとする。

こちらは、「今こういう状況だから、この仕事をお願いします」という意味で話している。

でも、状況と目的が共有できていなかったら、相手には、「無理やり仕事を押しつけられた」と受け取られることがある。

すると、こちらは、「なんで普通のお願いをしただけなのに怒るの?」と思う。

相手は、「なんでそんな一方的なことを言ってくるの?」と思う。

はぁしんど、である。

どちらも同じ言葉を聞いている。

けど、状況と目的が共有できていないから意味が違っている。

なので、話が通じないときは、語彙の問題だけを考えない方がよい。

「どんな状況で、何を目的に話しているのか」

ここを確認した方がよい。

状況と目的が共有できれば、意味を理解しやすくなる。

逆に、そこがぜんぜん共有できていなければ、「話が通じない人だなぁ、、、」という印象をお互いにもつことになる。

「どういう意味で受け取りました?」と聞けばよい

では、意味がずれているときにどうしたらよいのか。

これはわりと単純である。

「どういう意味で受け取りました?」と確認したらよい。

ぼくの経験上、話が通じない、、、と感じる人は、こちらが想定していなかったような意味で受け取っていたりする。

こちらはAと言ったつもりだった。

相手はBという意味で受け取っていた。

だったら、「あぁ、そういう意味で受け取ったのね」とわかる。

意味のズレがわかれば、互いに理解を確認しながらすりあわせていけばよい。

ここで大事なのは、「そんな意味で言ってない!」で終わらないことである。

こちらがそんな意味で言っていなくても、相手はそう受け取ったのである。

反対に、相手がそんな意味で言っていなくても、こちらが違う意味で受け取っていることもある。

人間関係が難しいのはお互い様である。

なので、「ぼくはこういう意味で言った」「あなたはどういう意味で受け取った?」「あなたが言ったこれは、どういう意味?」と、必要なところですりあわせればよい。

そんな感じである。

それでも、わかりあえないことはある

ただし、すりあわせたら全部わかりあえる、という話ではない。

ここも大事である。

世界観が根本的に違う場合、言葉をどれだけすりあわせても、どうにもならないことはある。

「わかりあえる」という感度を前提にすると、「わかりあえない」ときに簡単にトラブル化する。

「これだけ説明したのに」「なんでわからないの?」「普通はわかるでしょう」となる。

でも、世界観は人それぞれ違う。

だったら、わかりあえないからはじめるしかない。

意味のズレなら、すりあわせる。

状況と目的が違うなら、共有する。

それでもどうにもならないなら、「あぁ。あなたはそう思ったのね」でよい。

理解はできないけども、そういう人もいるのね、、、と承認すればOKである。

何でも相手の世界の中まで入って理解しなければならないわけではない。

それをやろうとすると、意味不明すぎてまともな方から消耗することもある。

言葉が通じることと、世界が通じることは違う

ぼくらは言葉が通じると、相手のこともわかったような気になる。

相手が「わかりました」と言えば、「わかったんだな」と思う。

自分が説明し終われば、「伝わったはずだ」と思う。

けども、本当にそうかはわからない。

同じ言葉でも文脈が変われば意味は変わる。

状況と目的が違えば、意味は変わる。

世界観が違えば、同じ言葉から立ち上がる世界も変わる。

だから、言葉が通じても、世界は通じないことがある。

といって、話すのをやめればよいわけではない。

むしろ逆である。

意味がずれているかもしれないから、確認する。

状況と目的が違うかもしれないから、すりあわせる。

世界観が違うかもしれないから、「わかりあえる」を当然だと思わない。

それぐらいでよい。

言葉で完全にわかりあうことは難しい。

けども、言葉がなければ、すりあわせることすらできない。

なので、ぼくらはわかりあえない可能性を抱えたまま、言葉を使って、だましだましやりとりするしかない。

人間ってほんとうにややこしいですね。

でも、たぶんそれが普通なのである。

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学教授。思想ノートでは身近な違和感の奥にある前提を問い直し、分かり合えない世界で人間・社会・自由について考えている。

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