AIを使うと、人は考えなくなるのか。
結論からいうと、AIを使う/使わないで議論するのは不毛である。
つまり、この議論こそ時間の無駄だと思っている。
理由は簡単で、AIはツールだからである。
あらゆるツールは、特定の状況下で目的を達成するための手段である。
AIも例外にはなりえない。
なので、「AIを使うと考えなくなるから使わない方がよい」とか、「AIを使った方が効率がよいからどんどん使うべきだ」とか、そんな感じで二者択一にする必要はない。
目的と状況にてらしあわせつつ、どう使っていくのかを考えていったらよい。
ぼくはそう思っている。
AIを使うか、自分で考えるか、という問いがおかしい
AIが広がってくると、「AIを使ったら自分で考えなくなるのでは?」という話が出てくる。
確かに、その心配はよくわかる。
テーマを入れたら文章が出てくるし、聞いたら答えてくれる。
長い文章もサクッとまとめてくれるし、アイデアも秒速で出してくれる。
こんなものを使っていたら、そのうち自分では何も考えられなくなるのではないか。
そう思うのも無理はないけど、この問いにはちょっと問題がある。
ぼくらの思考には、AとBどっち?と問われたら、どちらか一方を選んでしまうクセがあるからである。
「AIを使うのか。それとも、自分で考えるのか」と聞かれると、どちらかを選ばなければならないような気がしてくる。
でも、何でどちらか一方なんだろうか。
AIを使いながら自分で考えたらいいではないか。
「本を読みながら考える」「人と話しながら考える」「ネットで調べながら考える」「データを見ながら考える」などなど、ぼくらは普通にそうしているはずだ。
それなのに、AIだけ「使ったら自分で考えたことにならない」というのはよくわからない。
AIもツールなので、すべて目的と状況にてらしあわせつつ、どう使っていくのかを考えたらよい。
ちょー簡単に言えば、それだけである。
AIに答えを出してもらうことより、そこで思考停止する方がまずい
もちろん、AIを使えば何でもOKという話ではなく、それも程度問題である。
AIに聞いて、答えが返ってきて、「なるほど!」と納得して終了。
これを延々と繰り返していたら、たしかにあまり考えていないかもしれない。
でも、問題はAIを使ったことではなく、そこで思考停止したことである。
「AIを使う=思考力が落ちる」という考え方も、一見説得的かもだが、ぶっちゃけそれ自体が思考停止になりかねない。
思考停止すると対策が立てようがない。
「AIの何が問題なのか」「どういう使い方をしたときに考えなくなるのか」「逆に、どういう使い方なら考えることに役立つのか」などなど、そこをちゃんと考えないまま、「AIは危険」「AIは便利」で終わったら、それこそ何も考えていないと思う。
ぼくがAIを使っていてちょっとややこしいと思うのは、返ってくるものがわりとよくできていることだ。
見出しもあるし、話もつながっているし、もっともらしいし、なんかそれっぽい。
すると、そのまま使いたくなる。
けど、ここがわりと危ないのだと思う。
人から「○○という理由で、××を提案します」と言われて、直ぐに判断できるならソッコーで応じたらよい。
けど、ためらったらちょっと押し黙って、思索をめぐらせて対応を検討した方がよい。
結局、AIもこれと同じだと思う。
出てきたからすぐ使うではなく、ちょっと検討する。
「ほんまかいな」「何か変じゃないか」「自分が言いたいことと違わないか」「抜けていることはないか」などなど、いろいろ思索をめぐらせたらよい。
AIの答えが速いからといって、人間まで秒速で判断する必要はない。
わからない人ほどAIを使うな、という話でもない
そうすると、「AIの答えが正しいか判断できる専門性がない人は使わない方がいい」という話になりそうである。
これもぼくは違うと思う。
そんなことを言ったら、わからないから調べたいのに、わかっていない人は調べるな、みたいな変な話になるからだ。
初心者だって使えばよいし、学生だって使えばよいと思う。
ぼくだって、自分がよく知らないことを調べるときには積極的に使っている。
ただし、わからないことを調べるために使う場合と、出てきた答えを正しいと決めるために使う場合は違うとと思う。
ぼくは以前から、目的と状況をアンカーにして考えることが大切だと書いてきたが、AIの場合も同じであり、目的が「とりあえず論点を知りたい」なら、AIにざっと聞けばよいだろう。
目的が「自分では思いつかなかった案を出したい」なら、いっぱい案を出してもらえばよいと思う。
でも、目的が「この文章をそのまま世に出す」なら、それなりにしっかり確認しなければまずい。
目的と状況が違えば、使い方も変わるという当たり前の話だ。
なのに「AIは使っていいですか?」と聞かれると、話が急に大きくなる気がしている。
知らんがな、である。
何のために、どんな状況で使うのかによる。
「電話する/しない」が目的と状況によるのと同じで、「AIを使う/使わない」も目的と状況による。
こんな感じで考えておけば、さしあたりOKでないか。
考えたいなら、AIを使いながら考えればよい
では、AI時代にどうすれば考える力を失わずにすむのか。
ぼくの答えは「行動しながら考える」である。
AIを使って、出てきたものを確認し、違和感があったら考える。
そして、また使ってみる。
うまくいかなかったら修正しつつ、また使って、また考える。
これでよいと思う。
本人はたいてい熟慮しているつもりでも、実際にはまだ起こってもいない失敗や批判を恐れて、熟慮というより愚図愚図しているだけということがある。
「AIを使ったら思考力が落ちるかもしれない」「自分で考えられない人間になるかもしれない」など、そんな未来を延々と想像してAIを避けていてもしょうがない。
未来は未定だからこそ、未来である。
使ってみればよいし、そして考えればよい。
問題があれば使い方を変えればよい。
もちろん、AIに全部任せて何も確認しなくてよいという話ではない。
逆に、全部自分でやらなければならないという話でもない。
それも程度問題だ。
面倒な作業はサクッと任せて、考えたいところは自分で考える。
自分では見えないところはAIに聞いて、出てきた答えが怪しかったら眉に唾つけて吟味する。
よくわからなければ調べたらいいし、詳しい人に聞くのもありだろう。
もしかしたら間違っていることがわかるかもだが、そのときは直したらいい。
そんな感じでよいと思う。
AIはぼくらの代わりに人生を生きてくれるわけではない。
「何を目的にするのか」「どれを使うのか」「どれを捨てるのか」など、結局のところ最後は自分で決めるしかない。
だから、AIを使えば考えなくなる、と決めつける必要はないし、AIを使えば賢くなる、と期待しすぎる必要もない。
道具は道具であるので、目的と状況にあわせて使えばよく、そして使いながら考えるよう。
ひとまず、それで十分ではないか。