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AIに任せるほど人は考えなくなるのか

2026.07.12
人間を考える

AIを使うと、人は考えなくなるのか。

結論からいうと、AIを使う/使わないで議論するのは不毛である。

つまり、この議論こそ時間の無駄だと思っている。

理由は簡単で、AIはツールだからである。

あらゆるツールは、特定の状況下で目的を達成するための手段である。

AIも例外にはなりえない。

なので、「AIを使うと考えなくなるから使わない方がよい」とか、「AIを使った方が効率がよいからどんどん使うべきだ」とか、そんな感じで二者択一にする必要はない。

目的と状況にてらしあわせつつ、どう使っていくのかを考えていったらよい。

ぼくはそう思っている。

AIを使うか、自分で考えるか、という問いがおかしい

AIが広がってくると、「AIを使ったら自分で考えなくなるのでは?」という話が出てくる。

確かに、その心配はよくわかる。

テーマを入れたら文章が出てくる。

聞いたら答えてくれる。

長い文章もサクッとまとめてくれる。

アイデアも秒速で出してくれる。

こんなものを使っていたら、そのうち自分では何も考えられなくなるのではないか。

そう思うのも無理はない。

けど、この問いにはちょっと問題がある。

ぼくらの思考には、AとBどっち?と問われたら、どちらか一方を選んでしまうクセがあるからである。

AIを使うのか。

自分で考えるのか。

こう聞かれると、どちらかを選ばなければならないような気がしてくる。

でも、何でどちらか一方なんだろうか。

AIを使いながら自分で考えたらいいではないか。

本を読みながら考える。

人と話しながら考える。

ネットで調べながら考える。

データを見ながら考える。

ぼくらは普通にそうしている。

それなのに、AIだけ「使ったら自分で考えたことにならない」というのはよくわからない。

AIもツールなので、すべて目的と状況にてらしあわせつつ、どう使っていくのかを考えたらよい。

ちょー簡単に言えば、それだけである。

AIに答えを出してもらうことより、そこで思考停止する方がまずい

もちろん、AIを使えば何でもOKという話ではない。

それも程度問題である。

AIに聞く。

答えが返ってくる。

「なるほど!」

終了。

これを延々と繰り返していたら、たしかにあまり考えていないかもしれない。

でも、問題はAIを使ったことではない。

そこで思考停止したことである。

「AIを使う=思考力が落ちる」という考え方も、一見説得的かもだが、ぶっちゃけそれ自体が思考停止になりかねない。

思考停止すると対策が立てようがない。

AIの何が問題なのか。

どういう使い方をしたときに考えなくなるのか。

逆に、どういう使い方なら考えることに役立つのか。

そこを考えないまま、「AIは危険」「AIは便利」で終わったら、それこそ何も考えていない。

ぼくがAIを使っていてちょっとややこしいと思うのは、返ってくるものがわりとよくできていることだ。

見出しもある。

話もつながっている。

もっともらしい。

なんかそれっぽい。

すると、そのまま使いたくなる。

ここはわりと危ない。

人から「○○という理由で、××を提案します」と言われて、直ぐに判断できるならソッコーで応じたらよい。

けど、ためらったらちょっと押し黙って、思索をめぐらせて対応を検討した方がよい。

AIも同じである。

出てきた。

すぐ使う。

ではなく、ちょっと見る。

ほんまかいな。

何か変じゃないか。

自分が言いたいことと違わないか。

抜けていることはないか。

そうやって思索をめぐらせたらよい。

AIの答えが速いからといって、人間まで秒速で判断する必要はない。

わからない人ほどAIを使うな、という話でもない

そうすると、「AIの答えが正しいか判断できる専門性がない人は使わない方がいい」という話になりそうである。

これもぼくは違うと思う。

そんなことを言ったら、わからないから調べたいのに、わかっていない人は調べるな、みたいな変な話になる。

初心者だって使えばよい。

学生だって使えばよい。

ぼくだって、自分がよく知らないことを調べるときには使う。

ただし、わからないことを調べるために使う場合と、出てきた答えを正しいと決めるために使う場合は違う。

ここは分けた方がいい。

ぼくは以前から、目的と状況をアンカーにして考えることが大切だと書いてきた。

AIも同じである。

目的が「とりあえず論点を知りたい」なら、AIにざっと聞けばよい。

目的が「自分では思いつかなかった案を出したい」なら、いっぱい案を出してもらえばよい。

目的が「この文章をそのまま世に出す」なら、それなりにしっかり確認しなければまずい。

目的と状況が違えば、使い方も変わる。

当たり前の話である。

なのに「AIは使っていいですか?」と聞かれると、話が急に大きくなる。

知らんがな、である。

何のために、どんな状況で使うのかによる。

電話する/しないが目的と状況によるのと同じで、AIを使う/使わないも目的と状況による。

こんな感じで考えておけば、さしあたりOKである。

考えたいなら、AIを使いながら考えればよい

では、AI時代にどうすれば考える力を失わずにすむのか。

ぼくの答えは「行動しながら考える」である。

AIを使う。

出てきたものを見る。

違和感があったら考える。

使ってみる。

うまくいかなかったら修正する。

また使う。

また考える。

これでよい。

本人はたいてい熟慮しているつもりでも、実際にはまだ起こってもいない失敗や批判を恐れて、熟慮というより愚図愚図しているだけということがある。

「AIを使ったら思考力が落ちるかもしれない」

「自分で考えられない人間になるかもしれない」

そんな未来を延々と想像してAIを避けていてもしょうがない。

未来は未定だからこそ、未来である。

使ってみればよい。

そして考えればよい。

問題があれば使い方を変えればよい。

もちろん、AIに全部任せて何も確認しなくてよいという話ではない。

逆に、全部自分でやらなければならないという話でもない。

それも程度問題だ。

面倒な作業はサクッと任せる。

考えたいところは自分で考える。

自分では見えないところはAIに聞く。

出てきた答えが怪しかったら眉に唾つけて見る。

よくわからなければ調べる。

詳しい人に聞く。

間違っていたら直す。

そんな感じでよい。

AIはぼくらの代わりに人生を生きてくれるわけではない。

何を目的にするのか。

どれを使うのか。

どれを捨てるのか。

最後は自分で決めるしかない。

だから、AIを使えば考えなくなる、と決めつける必要はない。

AIを使えば賢くなる、と期待しすぎる必要もない。

道具は道具である。

目的と状況にあわせて使えばよい。

そして、使いながら考える。

ひとまず、それで十分ではないか。

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学教授。思想ノートでは身近な違和感の奥にある前提を問い直し、分かり合えない世界で人間・社会・自由について考えている。

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