ニュースレター登録

思想ノート通信を受け取る

責任は、決めてよい理由にはならない

2026.07.11
社会を考える

「自分には責任があるから、自分が決める」

これは一見すると、ものすごくもっともらしい。

実際、責任ある立場の人が物事を決めないと、何も前に進まないことはある。

組織でもそうだし、教育でも医療でもそうである。

誰かが決めなければならない。

そして、何かあったら誰かが責任を引き受けなければならない。

それはその通りである。

けども、「責任があるから、自分が決めてよい」となると、ぼくはちょっと違うと思っている。

というのも、本来は自分の人生は自分で責任を持つしかないからである。

誰か他の人が、その人の人生を代わりに生きてくれるわけではない。

だったら、責任を持つ人が全部決めればよいという話にはならない。

むしろ、責任があるからこそ、どこまで自分が決めてよいのかは気をつけた方がよい。

責任者が全部決めると、めちゃくちゃしんどい

一般的には、こんな感じで考えられている。

リーダーは物事を決める権限を持っている。

メンバーはリーダーの指示にしたがって動く。

責任者は最後に責任をとる。

なので、責任者が決める。

わりと普通の考え方である。

ですが、これを実際にやるとどうなるのか。

責任者はめちゃくちゃしんどい。

全部の情報が責任者に集約される。

責任を一手に引き受けなければならない。

重責に耐えなければならない。

しかも、周りの人は責任者に忖度しはじめる。

「どうせ最後はあの人が決めるから」

「反対してもしょうがない」

「責任とるのはあの人だし」

こんな感じになって、本当の意味での交流ができなくなる。

その結果、責任者は孤独な存在になる。

では、孤独と権力が混ざるとどうなるのか。

判断をミスするかもしれない。

重責がかかっているので自己保身に走るかもしれない。

周りが何も言わなくなるので、自分の判断が正しいと思い込みやすくなるかもしれない。

なんだかよくないことだらけである。

ぼくは以前から、チーム全体がおかしな方向に進まないためにも、リーダーが持つ権力は分散させた方がよいと書いてきた。

そして、それはリーダーの負担軽減にもつながる。

責任があるから権限を集中させるのではない。

責任が重いからこそ、権限を分散させるのである。

他人の人生に首をつっこむことになる

もうひとつ問題がある。

責任ある立場の人が、「自分が責任を持つんだから自分が決める」とやりはじめると、他人の人生に首をつっこむことになる。

これは教育でも医療でも家族でも起こる。

「あなたのためだから」

「失敗したら私の責任になるから」

「こっちの方が安全だから」

「将来困るから」

こんな感じである。

もちろん、悪気があるとは限らない。

むしろ親切心や責任感からやっていることも多い。

けども、親切心でやっていることが、相手にとってやってもらいたくないことなら、潔くやめた方がよい。

基本的な大前提として、ぼくら一人ひとりはそれぞれ独立した人格を持って、それぞれの世界観の中で生きている。

しかも、本来は自分の人生は自分で責任を持つしかない。

だから、自分が責任ある立場だからといって、相手の選択肢を巧妙に絞っていって、自分の思い通りに動かしてよいわけではない。

実質的な選択の自由がない状態はまじ辛い。

「あなたのため」と言われても、本人が「それは嫌だ」と思っているなら、そのズレは無視しない方がよい。

本人が求めているか、求めていないか。

これは大きな違いである。

もちろん、決めなければならない場合もある

そういうと、「だったら責任者は何も決めたらいけないの?」と思う人がいるかもしれない。

もちろん、そんなことはない。

それも程度問題である。

他人の人生に首をつっこむことは時間の無駄だとぼくは以前書いたが、例外はある。

教育者とか医療従事者とか、そもそも他人の人生に関与せざるを得ない立場はある。

そこには契約関係がある。

本人から助言を求められているのに、何も言わない方が不自然なことだってある。

危険が迫っていて、本人とゆっくり話しあっている暇がないこともある。

組織として今すぐ誰かが決めなければならないこともある。

そういう状況で、「他人の人生だから知りません」というのはおかしい。

そこをスルーしてしまったら、基本前提自体がおかしくなる。

なので、「責任者が決める/決めない」の二択で考える必要はない。

ぼくらの思考には、AとBどっち?と問われると、どちらか一方を選ばないといけないように感じるクセがある。

けど、目的と状況によって答えは変わる。

責任者が決めた方がよい状況もある。

本人に任せた方がよい状況もある。

一緒に決めた方がよい状況もある。

いったん決めて、後から変えた方がよい状況もある。

責任とか権限とかも、目的と状況をアンカーにして使い分ければよい。

情報を握ると、権力も強くなる

では、責任者に権力が集中しすぎないようにするにはどうすればよいのか。

ひとつは、情報をオープンにすることである。

情報は権限の源泉にもなる。

特定の個人や少数のグループだけが情報を保持して秘密にしていると、どんどんパワーが強くなってしまう。

だったら、この問題を逆手にとればよい。

責任者が知っていることを、できる範囲でみんなも知っている状態にする。

判断材料を共有する。

意思決定の場に関係する人が関与できるようにする。

少なくとも自分が担当することについては、ちゃんと発言できる状態にする。

そうすると、責任者が一個一個全部考えてコントロールしなくても、一人ひとりが責任をもって自立して物事を決めやすくなる。

自分で判断もできるようになる。

その結果、責任者の負担も減る。

ぼくは、こっちの方がよほど健全だと思っている。

責任者が全部背負う。

だから責任者が全部決める。

だから情報も責任者に集まる。

だから周囲は忖度する。

だから責任者は孤独になる。

そして、孤独と権力が混ざる。

こう書き出すと、なんだか怪しさマックスである。

権力というのは、人を狂わすことがある。

だったら、最初から一人に集めすぎない方がよい。

責任があるなら、むしろ問い返される側にいる

責任を持つことは大切である。

責任逃れはよくない。

けども、自責思考も他責思考もどちらか一方では不十分だったように、責任も「全部自分が背負う」だけではしんどい。

自分に問題があるところは自分で引き受ける。

周囲に問題があるところは周囲にも変わってもらう。

本人が決めるべきところは本人に任せる。

みんなで決めるべきところはみんなで決める。

最後に責任者が決めなければならないなら決める。

こんな感じでよい。

責任があるから、自分が正しいわけではない。

責任があるから、他人の人生を思い通りに決めてよいわけでもない。

むしろ責任があるなら、自分の判断がおかしかったときに、周囲から「それ違うんじゃないですか」と言ってもらえる状態を残した方がよい。

その方が自分のためでもある。

反対意見が出たら聞く。

判断材料が変わったら考え直す。

間違っていたら修正する。

そうすればよい。

責任を持つというのは、何でも自分で決めることではない。

自分が決める範囲と、他人が決める範囲と、一緒に決める範囲を、その時々の目的と状況にあわせて考え続けることなのだと思う。

責任があるから自分が決める。

そんな単純な話ではない。

人間が何人か集まるだけで、話はもっとややこしい。

まぁ、人間ってほんとうにややこしいですね。

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学教授。思想ノートでは身近な違和感の奥にある前提を問い直し、分かり合えない世界で人間・社会・自由について考えている。

関連記事

ニュースレター登録
目次