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質的研究のサンプルサイズは何人必要か――「十分に理解した」とはどういうことか

2018.12.11
探求から考える

質的研究について話していると、「インタビューは何人ぐらいすればよいでしょうか」と聞かれることがあります。

大学院生だけではありません。研究計画を立てている研究者から相談されることもあります。

この質問が出てくるのは、よくわかります。

研究計画書には、予定する参加者数を書かなければならない。倫理審査でも、何人を対象にするのか説明を求められます。研究期間や予算を考えるうえでも、ある程度の見通しは必要です。

だから、「質的研究では何人必要なのか」と考える。

ただ、この問いについて長く考えていると、少し不思議な感じもしてきます。

私たちは、何人の話を聞けば、人間の経験を十分に理解したと言えるのでしょうか。

5人では少ないのか。
10人なら十分なのか。
30人に話を聞けば、研究結果はそれだけ確かになるのか。

質的研究のサンプルサイズは、一見すると研究方法の技術的な問題です。

けれども、その奥には、もう少し根本的な問いが隠れています。

人間を理解するとは、どういうことなのか。

そして僕たちは、何をもって「もう十分にわかった」と判断しているのでしょうか。

人数が増えるほど、理解は深くなるのか

数字には、研究をわかりやすくする力があります。

「3人にインタビューしました」と聞くと、少ないように感じる。

「30人にインタビューしました」と聞くと、それだけで少し信頼できそうに思える。

人数は目に見えます。大小を比べることもできる。そのため、研究の妥当性を判断するときも、とりあえず人数を確認したくなるのかもしれません。

もちろん、人数はどうでもよいわけではありません。

質的研究では人数は重要ではない、と理解されることがあります。しかし、Sandelowski (1995) は、それは質的研究のサンプリングに関する誤解であると指摘しています。

適切なサンプルサイズは、一律の人数で決まるものではありません。収集した情報の質、その情報を何に用いるのか、採用する研究方法、目的的サンプリングの方針、最終的にどのような研究成果を目指すのか。これらの関係を踏まえて判断されます (Sandelowski, 1995)。

研究目的に比べて参加者が少なすぎれば、必要な情報の広がりや厚みを捉えられない可能性があります。

ただし、人数が多ければ、研究の質が自動的に高くなるわけでもありません。

30人に短いインタビューを行い、それぞれの経験をほとんど掘り下げられなかった研究もありえます。

反対に、一人の参加者に何度も話を聞き、生活場面を観察し、記録や資料を読み、その人が経験してきた世界を時間をかけて探究する研究もあります。

どちらが優れているかは、人数だけでは決まりません。

問題は、その人数によって、研究目的に必要な情報を得ることができるのかです。

「多い方がよい」とも、「少なくてよい」とも、単純には言えない。

人数だけを見ていると、研究が本当に理解しようとしているものが、かえって見えなくなることがあります。

サンプルサイズは、問いから離れて決められない

たとえば、ある極めてまれな経験をした人がいるとします。

その人が何を経験し、その出来事をどのように受け止め、その後をどのように生きてきたのか。

研究目的が、その人固有の経験を深く理解することであれば、一人の事例を対象として研究することも考えられます。

Sandelowski (1996) は、質的研究の認識論的な志向は事例志向であると論じています。質的研究では、採用する方法やサンプルサイズにかかわらず、一つひとつの事例を、その文脈を含む全体として理解しようとします (Sandelowski, 1996)。

この考え方に立てば、研究目的によっては、一人の経験を深く探究する研究も成立しうるでしょう。

ただし、「質的研究なら一人でもよい」という意味ではありません。

一人を対象にすれば、それだけで深い研究になるわけではない。

なぜ、その人を研究するのか。

その事例から何を明らかにしたいのか。

どのようなデータを、どの程度の厚みで得るのか。

研究結果から、どこまで言おうとしているのか。

そこが曖昧なままでは、参加者が一人である理由も説明できません。

また、同じ人に複数回インタビューした場合、参加者数が増えるわけではありません。

一人に5回インタビューしたなら、「参加者5名」ではなく、「参加者1名に対して5回のインタビューを実施した」と記述します。

複数回のインタビューによって、経験の変化を追ったり、前回の語りをさらに掘り下げたりすることはできます。データの厚みは増えるかもしれません。

けれども、インタビューの回数と参加者の人数は別のものです。

一方、ある経験に共通する特徴を明らかにしたいなら、複数の人に話を聞く必要があるでしょう。

さらに、経験の多様性や異なる経路を明らかにしたいなら、年齢、生活環境、社会的役割、病気や障害の状態などを考慮し、異なる背景をもつ人を対象にする必要があるかもしれません。

この場合、単純に人数を増やすだけでは足りない。

次に、どのような経験をもつ人の話を聞く必要があるのか。

研究目的に照らしながら、参加者の選び方そのものを考えなければなりません。

何を知りたいのか。

誰の経験を理解したいのか。

研究結果として、どこまで語りたいのか。

必要な人数は、その問いから離れて決まるものではありません。

人数ではなく、「情報力」から考える

質的インタビュー研究のサンプルサイズを考える方法として、「情報力(information power)」という考え方があります。

Malterud et al. (2016) は、研究目的に関連する情報をサンプルが多くもつほど、必要な参加者数は少なくなる可能性があると論じています。

ここでいう情報力は、単純なデータ量ではありません。

研究目的にとって、どの程度関連性が高く、豊かな情報を得られるのかという考え方です。

Malterud et al. (2016) は、十分な情報力をもつサンプルサイズは、次の五つの要素によって変わるとしています。

  • 研究目的
  • サンプルの特異性
  • 確立された理論の利用
  • 研究者と参加者の対話の質
  • 分析戦略

ここでいうサンプルの特異性とは、参加者の属性が珍しいという意味ではありません。

研究目的に照らしたときに、参加者が、その研究で明らかにしたい現象について、どの程度関連性の高い経験や知識をもっているかということです。

たとえば、研究目的がかなり限定されていて、その経験について豊かな知識をもつ人を対象にし、時間をかけて質の高い対話ができるなら、比較的少ない人数でも研究目的に必要な情報を得られる可能性があります。

反対に、研究目的が広く、異なる背景をもつ人々の多様な経験を明らかにしたい場合は、より多くの参加者が必要になるかもしれません。

また、一人ひとりから得られる情報が少なければ、人数を増やしても、研究目的に十分に応えられないことがあります。

同じ10人でも、研究によって情報の厚みは違う。

同じ1時間のインタビューでも、そこで語られる内容は違います。

研究者がどのような問いを投げかけるか。

参加者との間に、安心して話せる関係があるか。

語られた経験を、どのような理論や分析方針のもとで理解するのか。

それらも、研究から得られる情報に影響します。

そう考えると、サンプルサイズは、参加者の人数だけの問題ではありません。

研究の問いと、参加者と、対話と、分析の間にある関係の問題でもあります。

 「飽和」という言葉は、何を意味しているのか

質的研究のサンプルサイズについて調べると、「飽和」という言葉によく出会います。

新しい参加者を追加しても、新しいコードや論点がほとんど見いだされなくなった。

だから、研究目的に必要なデータは集まった。

おおむね、そのような意味で使われます。

ただし、「飽和」という言葉は、いつも同じことを意味しているわけではありません。

Hennink et al. (2017) は、コード飽和と意味飽和を区別しています。

コード飽和とは、新しいコードや論点がほとんど追加されなくなり、研究で扱う話題の範囲がおおむね把握された状態です。

一方、意味飽和とは、すでに見いだされた論点について、その背景、違い、ニュアンスなどを含む、豊かで多面的な理解が得られた状態を指します。

Hennink et al. (2017) は、25件の詳細なインタビューを分析しました。その結果、コード飽和は9件目のインタビューで確認されました。しかし、意味飽和には16~24件のインタビューが必要でした (Hennink et al., 2017)。

ただし、これは、特定のデータを用いて行われた一つの方法論的研究の結果です。

「質的研究は9人でよい」とか、「意味を深く理解するなら24人必要である」という一般的な基準ではありません。

それでも、この研究が示した違いは興味深い。

どのような経験があるのか、その範囲がおおよそ見えてきたことと、その経験が人々にとってどのような意味をもち、どのような違いや複雑さを含んでいるのかを深く理解したことは、同じではないからです。

研究者が何をもって「十分」と考えるかによって、必要なデータの量も変わります。

「9~17件」は、すべての研究の基準ではない

Hennink and Kaiser (2022) は、質的研究の飽和に必要なサンプルサイズを経験的に検討した研究について、系統的レビューを行いました。このレビューには23本の研究が含まれていました。そのうち17本は実際のデータを用いた研究であり、6本は統計モデルを用いて飽和を検討した研究でした。実際のデータを用いた研究では、インタビュー9~17件、または4~8回のフォーカスグループ・ディスカッションで飽和に達していました (Hennink & Kaiser, 2022)。

この数字だけを見ると、「質的研究のインタビューは、10人から15人ぐらいでよい」と思うかもしれません。

しかし、この結果には条件があります。レビューに含まれた研究の多くは、対象集団が比較的均質で、研究目的が狭く定められていました。また、多くの研究が、主としてコード飽和を評価していました。複数の国を対象にした研究、複数のテーマを横断する上位のテーマを検討した研究、コードの意味を深く理解しようとした研究では、より大きなサンプルが必要でした (Hennink & Kaiser, 2022)。

背景の似た人たちを対象に、比較的限定された問いを明らかにする研究と、異なる地域、文化、世代、立場にある人々の多様な経験を明らかにする研究では、必要な人数が同じになるとは限りません。

新しい論点がほとんど出なくなることを目指すのか。

経験の意味や複雑さを深く理解したいのか。

複数の集団を比較したいのか。

研究が目指すところによって、「十分なデータ」の意味は変わります。

したがって、9~17件という数字は、質的研究全体に適用できる基準ではありません。

条件の近い研究を計画するときに、参考になる経験的知見の一つです。

目安は必要です。けれども、目安が、そのまま答えになるわけではない。

すべての質的研究で、飽和を目指すわけではない

もう一つ考えておきたいのは、飽和という考え方が、すべての質的研究に適しているわけではないことです。

とくに、BraunとClarkeが提案する再帰的テーマ分析では、テーマは、データの中に完成した形で存在し、研究者がそれを漏れなく発見するものとは考えません。

研究者は、研究上の問い、理論的な立場、それまでの経験などをもちながらデータに向き合い、解釈を重ねることによってテーマを生成します。

別の問いをもつ研究者が分析すれば、異なるテーマが生成される可能性もある。

同じ研究者でも、異なる観点から読み直せば、新しい意味を見いだすかもしれません。

Braun and Clarke (2021) は、飽和を、テーマ分析に一律に適用できる普遍的なサンプルサイズの根拠や品質基準として扱うことを批判しています。とくに再帰的テーマ分析では、テーマがデータの中にあらかじめ存在し、研究者が発見するという前提をとらないため、「新しいテーマが出なくなれば飽和した」という考え方は、方法論的な前提と整合しません (Braun & Clarke, 2021)。

これは、飽和という考え方そのものが間違っているという意味ではありません。研究方法によって、何をもってデータが十分であると考えるのかは違うということです。

問題は、「質的研究だから飽和するまで集める」と、研究方法の違いを考えずに書いてしまうことです。

サンプルサイズを考える前に、自分の研究は、どのような方法論に基づいているのか。

その方法では、何をもってデータが十分だと判断するのか。

そこを確かめる必要があります。

研究計画書には、何人と書けばよいのか

ここまで読むと、「では、結局、研究計画書には何人と書けばよいのでしょうか」と思うかもしれません。

研究を始める前に、最終的な人数を完全に予測することは難しい。

けれども、「研究してみなければわかりません」とだけ書くわけにもいきません。

研究開始前には、研究目的、対象集団、研究デザイン、データの生成方法、分析方法、類似する先行研究などを踏まえ、予定する参加者数を示します。

その際、「質的研究だから10人」「先行研究が15人だから今回も15人」という決め方では、十分な説明になりません。

なぜ、その人数を予定するのか。

その人数で、研究目的に必要な情報をどの程度得られると考えているのか。

研究方法に照らして、何をもってデータが十分だと判断するのか。

そこまで説明する必要があります。

情報力を根拠にする研究であれば、研究目的、サンプルの特異性、既存理論の利用、対話の質、分析戦略を踏まえて、予定する参加者数を説明できます (Malterud et al., 2016)。

また、対象集団が比較的均質で、研究目的が限定され、コード飽和を判断基準とする研究であれば、9~17件という経験的知見が参考になる場合があります(Hennink & Kaiser, 2022)。

ただし、その数字は、研究ごとの特徴と組み合わせて検討する必要があります 。

飽和を判断基準として用いるのであれば、何が飽和するのかも明確にした方がよいでしょう。

新しいコードが生成されなくなることなのか。

経験の意味や多様性を十分に理解できることなのか。

コード飽和と意味飽和では、必要になるデータの量が異なる可能性があります (Hennink et al., 2017)。

「飽和に達するまでデータを収集する」とだけ書いても、何をどのように判断するのかはわかりません。

また、研究の進行に応じて参加者を追加するか、あらかじめ参加者数を定めるか、既存のデータを分析するかは、採用する研究方法によって異なります。

サンプルサイズの決め方だけを、研究方法から切り離すことはできません。

人間の経験は、本当に飽和するのか

ここまで、研究方法としての飽和について考えてきました。

ただ、僕はときどき、別のことも考えます。

人間の経験そのものが、完全に飽和することなどあるのでしょうか。

同じ人に、同じ経験について話を聞いても、質問の仕方が変われば、別の語りが生まれるかもしれません。

時間がたてば、その人自身の受け止め方も変わるでしょう。

当時は失敗だと思っていた出来事が、数年後には別の意味をもつこともある。

別の研究者が話を聞けば、それまで語られなかった経験が言葉になるかもしれません。

人間の経験は、一度語れば固定されるものではない。

経験の意味は、その人が置かれた状況や、今の関心や、誰に向かって語るかによっても変わります。

そう考えると、僕は、人間の経験そのものが飽和するわけではないと思っています。

飽和するのは、人間ではありません。

特定の研究目的のもとで、特定の人々に、特定の方法で話を聞き、特定の観点から分析したときに、研究目的に必要な理解が、さしあたり十分になったと判断する。

飽和とは、そのような限定されたものではないでしょうか。

もちろん、研究には終わりが必要です。

いつまでもインタビューを続けることはできません。限られた期間や予算の中で、データを集め、分析し、研究結果を示さなければならない。

だから、どこかで「ここまでで十分である」と判断する必要があります。

ただ、その判断は、「この人たちの経験はすべてわかった」という宣言ではない。

自分が立てた問いに対して、どこまで理解できたのか。

その理解を、どこまで責任をもって語れるのか。

研究者が引き受けるのは、たぶんそこです。

「何人必要か」という問いが、研究者自身に戻ってくる

質的研究の参加者は、ときどき「サンプル」と呼ばれます。

研究方法上、必要な言葉です。

けれども、その言葉だけを見ていると、見失うものもあります。

インタビューで話してくれる人は、単なるデータの供給源ではありません。

その人には、それまで生きてきた時間があります。

守りたいものがある。

忘れたい経験もある。

まだ自分でも、うまく言葉にできない感覚があるかもしれません。

同じ出来事を経験していても、人によって見えている世界は違います。

質的研究は、その違いを誤差として消すのではなく、人間が経験している世界を、言葉を通して理解しようとする営みです。

だから、「何人いれば十分か」という問いだけでは足りない。

何を理解したいのか。

誰の経験を理解しようとしているのか。

研究者は、どのような関心や理論をもち、その語りを読もうとしているのか。

得られた研究結果から、どこまで言おうとしているのか。

サンプルサイズについて考えているつもりが、最後には、研究者自身の問いや前提に戻ってきます。

人数は、研究の質を自動的に保証しません。

けれども、人数を考えなくてよいわけでもない。

質的研究のサンプルサイズで問われているのは、「何人なら正解か」だけではないのです。

この研究の問いに対して、どのような人の、どのような経験を、どの程度の広がりと深さで理解すれば、どこまで責任をもって語れるのか。

その関係を考えることです。

研究計画書に書かれた人数は、ただの数字に見えます。

けれども、その数字の奥には、研究者が何を知りたいのか、何をもって「わかった」と考えるのか、そして、人間をどのように理解しようとしているのかが表れています。

質的研究のサンプルサイズを考えることは、研究の規模を決めることだと思っていました。

いまは、それだけではないように感じています。

文献

Braun, V., & Clarke, V. (2021). To saturate or not to saturate? Questioning data saturation as a useful concept for thematic analysis and sample-size rationales. Qualitative Research in Sport, Exercise and Health, 13(2), 201–216. https://doi.org/10.1080/2159676X.2019.1704846

Hennink, M. M., Kaiser, B. N., & Marconi, V. C. (2017). Code saturation versus meaning saturation: How many interviews are enough? Qualitative Health Research, 27(4), 591–608. https://doi.org/10.1177/1049732316665344

Hennink, M., & Kaiser, B. N. (2022). Sample sizes for saturation in qualitative research: A systematic review of empirical tests. Social Science & Medicine, 292, Article 114523. https://doi.org/10.1016/j.socscimed.2021.114523

Malterud, K., Siersma, V. D., & Guassora, A. D. (2016). Sample size in qualitative interview studies: Guided by information power. Qualitative Health Research, 26(13), 1753–1760. https://doi.org/10.1177/1049732315617444

Sandelowski, M. (1995). Sample size in qualitative research. Research in Nursing & Health, 18(2), 179–183. https://doi.org/10.1002/nur.4770180211

Sandelowski, M. (1996). One is the liveliest number: The case orientation of qualitative research. Research in Nursing & Health, 19(6), 525–529. https://doi.org/10.1002/(SICI)1098-240X(199612)19:6%3C525::AID-NUR8%3E3.0.CO;2-Q

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学・教授。思想ノートでは、信念対立、作業療法、研究等を手がかりに、分かり合えない世界で人間・社会・自由についてどう考えるかを書いていきます。

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