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失敗に寛容な社会は、だらしない社会なのか

社会を考える

ぼくたちはもうちょっと適当に生きたっていい。

いきなりこんなことを言うと、「みんなが適当に生きたら社会がまわらないじゃないか」と思う人がいるかもしれない。

それは、もちろんそうである。

何事もバランスが大事であり、ほどほどに厳しくすることは必要である。仕事でも何でも、やるべきことを全部放り出して好き勝手にやればいいという話ではない。

ぼくが言いたいのは、そういうことではない。

失敗や間違いに対して厳しすぎる社会よりも、もう少しおおらかで、いい加減で、適当に生きることも許される社会の方が、生きやすい人が増えるのではないか、という話である。

誰でも失敗するし、誰でも間違う

人は、誰だって失敗することも、間違うこともある。

それなのに、失敗した人をキツく言う。間違った人を厳しく責める。そんなことが、ぼくたちの社会ではわりと普通に起こっている。

けど、失敗した人を攻撃したら問題が解消されるのかというと、そうではない。

失敗はすでに起こっている。

間違いもすでに起こっている。

そこで相手を厳しく責めたところで、起こったことがなかったことになるわけではない。それどころか、小さな不幸が大きな不幸につながってしまうことだってある。

だったら、失敗や間違いに対して、もう少しおおらかになってもいいのではないかと思う。

もちろん、失敗したら何もしなくていいという話ではない。

失敗した理由を冷静に分析する。努力の方向性がズレていたなら修正する。何か問題が成立する条件があるなら、それをきっちり把握する。そのうえで、小さな改善をこつこつ重ねていけばいい。

失敗した人を責めることと、失敗から学ぶことは別問題である。

頑張っても結果が出ないことはある

ぼくたちは、結果が出ないと「もっと頑張らなければならない」と考えがちである。

けど、これはけっこう危ない。

なぜなら、すでに頑張っているのに、そこからさらに頑張るとドツボにハマることがあるからである。

頑張っても結果が出ない。

だから、さらに頑張る。

すると、成果を求めて焦りはじめる。焦ると視野が狭くなる。その結果、いらぬ失敗を重ねる。

そして、さらなる泥沼にはまり込んでいく。

そういう構造が、ぼくたちのすぐソバに潜んでいる。

生きていれば、どんなに頑張ってもどうにもならないことはわりと起こる。

そんなときに「もっと頑張ろう!」とやると、最善の努力を重ねに重ねたあげく討ち死にする可能性がカパッと開いてしまう。

なので、頑張っても結果が出ないときは、頑張りすぎない方がよい。

努力だけで何とかなるわけではない

努力が実を結ぶかどうかは、努力の量だけでは決まらない。

もう身も蓋もないことを言うと、時流に乗れているかどうかもめちゃ重要である。

例えば、船に乗って太平洋を突っ切りたいとする。

ところが、その船の底に穴が開いている。

そんな状態で一生懸命モーターを動かしたり、必死に前へ進むように漕いだりしても、船は沈んでいく。

努力が足りないからではない。

船底に穴が開いているからである。

どれだけ船の操縦に才能がある人でも、船そのものが沈んでいけば太平洋を渡りきることは難しい。

仕事でも人生でも、似たようなことはある。

どんなに頑張っても成果につながりにくい場所はあるし、自分の才能を生かしにくい状況もある。

なので、努力がなかなか実を結ばないときは、「自分はまだ努力が足りない」とだけ考えるのではなく、自分がいまどんなところにいるのかをチェックした方がよい。

努力の方向性を少し変える。

別の領域にも手を出してみる。

一つのところだけに依存しない。

そうやって身の振り方を考えることも必要である。

それでもダメなら諦めてもいい

それでも結果が出ないことはある。

そんなときは、諦めることも大切である。

自分では「まだ可能性はある」と思っていても、実はすでにゲームオーバーになっている可能性だってある。

本人だけがそれに気づいていないこともある。

もしそうなら、冷静に分析して小さな改善を重ねても、そもそもチェックメイトなので、努力が無駄に終わるだけである。

なので、ここぞというときは、サクッと見切りをつけることもめちゃ重要である。

そのためには、一つのことにすべてを依存しない方がいい。

一方がダメでも、別のことがある。

そういう状態をつくっておけば、どうにもならなくなったときに、そこから離れやすくなる。

諦めることは、必ずしも悪いことではない。

どうにもならないことを、どうにかしようとして討ち死にするよりはマシである。

ハムスターは歯を食いしばって生きていない

ぼくはハムスターを飼っている。

ハムスターを見ていると、基本的にはやりたいことをやっている。

走りたければ回し車を走る。眠ければ寝る。腹が減れば餌を食べる。触られるのが嫌なら逃げる。

もちろん、ハムスターだって生きるために必要なことは一生懸命やっている。

だけど、人間みたいに嫌なことを無理に頑張り続けたり、歯を食いしばって耐え続けたりはしていない。

そんな様子を見ていると、ぼくたちはもう少し適当に生きてもいいんじゃないかと思う。

ぼくたちの社会では、自己研鑽を積んで頑張り、成長し、成果を出していくという物語が受け入れられやすい。

もちろん、それが幸福につながる人もいる。

頑張りたい人は頑張ればいい。

けど、それだけが生き方ではない。

ほどほどにご飯を食べる。

ほどほどに仕事で結果を出す。

ほどほどに好きな人と過ごす。

そんな生き方だって肯定されてもいい。

ちょっと一休みしたい人は休めばいいし、適当に生きたい人は適当に生きればいい。

それぞれ好きなように生きればいいのである。

現実は厳しい。けど人生は続く

もっと適当に生きれば、すべてがうまくいくわけではない。

現実は厳しい。

これは確かにそうである。

なかなか思うようにならないし、努力しても頑張っても、残酷なほどサクッと否定されることもある。

いろんな夢や希望、理想や想いが、現実を前にして敗れ去ることだってある。

現実というのは、個人の勝手な想定をあっさり超えてくる。

それはつらい。

しんどい。

けど、そんなときだって人生は続く。

思い通りにならなかったからといって、そこで全部終わるわけではない。

傷つきながら生きていくしかないときもある。

失敗することもある。間違うこともある。頑張っても結果が出ないこともある。どうにもならず、諦めなければならないこともある。

それでも人生は続くのである。

だったら、失敗や間違いが起こるたびに、自分や他人を徹底的に追い込む必要はない。

冷静に分析して、小さく改善する。

ダメならやり方を変える。

場所を変える。

どうにもならなければ諦める。

そして、また動く。

それぐらいでいいのではないかと思う。

失敗に寛容な社会は、だらしない社会なのか

では、失敗に寛容な社会は、だらしない社会なのだろうか。

ぼくはそうは思わない。

もちろん、全ての人が適当で、いい加減にやれば社会はまわらない。

他人に迷惑をかけてもいいということでもない。

何事もバランスが大事である。

けど、失敗や間違いに対して厳しすぎることで、小さな不幸を生み、それが大きな不幸につながっているのなら、もう少し肩の力を抜いてもいい。

失敗したら、なぜ失敗したのか考えればいい。

間違ったら直せばいい。

頑張っても結果が出なければ、さらに頑張るのではなく、一度冷静に考えてみればいい。

どうにもならなければ、サクッと諦めたっていい。

頑張りたい人は頑張ればいい。

休みたい人は休めばいい。

適当に生きたい人は適当に生きればいい。

そういういろんな生き方が肯定される社会の方が、生きやすい人は増えるのではないか。

もう少し手抜きが評価される社会。

失敗しても、間違っても、それだけで徹底的に叩かれない社会。

傷つきながらでも、生きていける社会。

ぼくは、それぐらいのいい加減さがあってもいいんじゃないかと思っている。

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学教授。思想ノートでは身近な違和感の奥にある前提を問い直し、分かり合えない世界で人間・社会・自由について考えている。

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