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「多数決で決めよう」は、何を決めていないのかーー票数と内容の正しさの間にある「隙間」について

2026.07.23
社会を考える

多数決で決まったことが、正しいとは限らない。

いきなりこんなことを言うと、「でも、みんなで話し合って多数決で決めたんだから、それに従うのが普通でしょう」と思う人がいるかもしれない。

それは、もちろんそうである。

何かを決めないと前に進めないことはあるし、全員が納得するまで話し合っていたら、いつまでたっても決まらないことだってある。ぼくも会議などで多数決を使うこと自体には何の問題もないと思っている。

ぼくが言いたいのは、そういうことではない。

多数決で決まったことと、その内容が正しいことは、分けて考えた方がいいのではないか、という話である。

多数決で決まるのは、どちらを選ぶかである

たとえば、10人で話し合って、A案に7人、B案に3人が賛成したとする。

多数決をすれば、A案に決まる。

これは何もおかしくない。

でも、ここでわかったのは、A案に賛成した人が7人いて、B案に賛成した人が3人いたということである。A案が正しくて、B案が間違っていることが証明されたわけではない。

当たり前の話なんだけども、ぼくらはここをわりと簡単に混ぜてしまう。

「7対3で決まったんだから、A案でいいでしょう」

ここまではよい。

ところが、いつの間にか、「7対3で決まったんだから、A案が正しいでしょう」になってしまうことがある。

似ているけども、これは違う。

多数決は、みんなの意見が一致しないときに、どちらを採用するのか決めることはできる。

でも、何が正しいのかまで決めてくれるわけではない。

多数派が正しいなら、変なことになる

昼飯をどこで食べるか決めるぐらいなら、多数決でよいと思う。

ラーメンが7人、カレーが3人なら、今日はラーメンにする。

カレーを食べたかった3人は残念だけども、まぁ次はカレーにすればよい。こういう話なら、多数決はかなり使いやすい。

でも、何でも同じように決められるわけではない。

たとえば、新しい治療に効果があるかどうかを10人で多数決しても意味がない。

9人が「効くと思う」と答えたところで、本当に効くかどうかはデータを調べないとわからないからである。

また、10人の職場で、9人が「面倒な仕事はAさん一人にやってもらおう」と賛成したとする。

多数決だけ見れば9対1なので、圧勝である。

でも、「みんなで決めたんだからAさんに全部やってもらえばいい」と言われたら、さすがにおかしいと思う人が多いのではないか。

9人は自分がやらなくて済むから賛成しただけかもしれない。

つまり、人数が多いことだけでは、その内容が正しいとは言えないのである。

「みんなで決めた」は、わりと強い

多数決がややこしいのは、「みんなで決めた」という言葉がかなり強いところにある。

誰か一人が決めたことなら、「いや、それはおかしいでしょう」と言いやすい。

でも、「みんなで決めました」と言われると、反対しにくくなる。

多数決で負けた側も、「まぁ、決まったんだから仕方ない」となる。

それで物事が前に進むのだから、多数決には意味がある。

ただし、「決まったから仕方ない」と「納得した」は違う。

3人が反対していたなら、3人が気にしていたことは、多数決が終わった後も残っている。

票を数えたからといって、その心配まで消えるわけではない。

ここは大事だと思う。

多数決は話し合いを終わらせることができるけども、そこで出ていた問題までなくしてくれるわけではない。

なのに、「多数決で決まったんだから、この話はもう終わり」としてしまうと、少数側が何を心配していたのかまで見えなくなる。

場合によっては、その心配の方が正しかったということもありうる。

じゃあ、多数決をどう使えばいいのか

では、多数決は使わない方がよいのか。

もちろん、そんなことはない。

ぼくが言いたいのは、多数決を万能なものとして扱わない方がよい、ということだけである。

何を食べるか、どこに行くか、どの案を採用するか。こうしたことは、どこかで決めなければならないので、多数決で決めたらよいことも多い。

一方、本当にそうなのかを確かめる必要があるなら、人数ではなく事実を調べないといけない。

また、少数の人に大きな負担がかかるような話なら、「多数が賛成している」というだけで押し切ってよいのかは考えた方がよい。

とはいえ、実際にはそんなにきれいに分けられない。

これは多数決で決めてよい。

これは多数決では決めてはいけない。

そんな境界線が最初からはっきり見えているなら、そもそもあまり困らない。

現実には、みんなにとってはたいしたことがないように見えても、一人にとってはかなり深刻なこともある。逆に、一人が強く反対しているからといって、いつまでも何も決められないのでは困ることもある。

なので、結局はその都度考えるしかない。

面倒なんだけども、それは仕方がない。

少数だったから、間違っていたわけではない

多数決は、何かを決めるには便利である。

だから、使えばよい。

ただ、多数決で負けた意見は、間違った意見ではない。

今回は採用されなかった意見である。

この違いは、けっこう大きいと思う。

7対3でA案に決まったら、とりあえずA案でやってみる。

でも、3人が何を心配していたのかは忘れない。

実際にやってみて、その3人が心配していたことが起きたら、そのときは考え直せばよい。

そのぐらいでいいのではないか。

多数決で決まったから、正しい。

ではなく、多数決で決まったから、とりあえず今回はこれでやってみる。

ぼくは、多数決というものは、そのぐらいに考えておく方がちょうどよいと思っている。

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学教授。思想ノートでは身近な違和感の奥にある前提を問い直し、分かり合えない世界で人間・社会・自由について考えている。

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