仕事は大切である。
ぼくもこれまで、わりとよく働いてきたと思う。
仕事を頑張れば、収入が増えるかもしれない。誰かに喜んでもらえることもある。成果が出れば達成感もある。仕事を通して自分がやりたかったことを実現できることだってある。
なので、仕事なんてどうでもいいとは思わない。
けども、そもそも仕事は人生の目的なのだろうか。
ぼくは違うと思っている。
人生の目的は心楽しく生きることである。
仕事は、そのために使うツールの一つにすぎない。
ここを逆転させると、人生はわりとしんどくなる。
ぼくたちは何のために働いているのか
働くと報酬が得られる。
その報酬を使って、家族を養ったり、自分自身の生活に潤いを与えたりする。
では、なぜ報酬を得るのか。
結局のところ、自分たちがよりよく生きるためである。
仕事そのものが最終目的ではない。
仕事を通してお金を得る。やりたいことを実現する。誰かに喜んでもらう。自分の生活を安定させる。将来を少し楽にする。
そうやって心楽しく生きるために、ぼくたちは仕事を使っている。
なので、仕事は楽しく生きるためのツールだと思っておけばOKである。
もちろん、「楽しい仕事は仕事ではない」と考える人もいる。
それはその人の考え方なので、それでよい。
けども、それをみんなに当てはめる必要はない。
仕事のために生きる人がいてもよいし、生きるために仕事をする人がいてもよい。
大切なのは、自分が何のために仕事をしているのか、である。
仕事を楽しめないのはわりと普通である
とはいえ、仕事はなかなかハードモードである。
人間関係のストレスがある。
業務量が多い。
人手不足で忙しい。
給与の割に役割が重たい。
体調が悪くても休みにくい。
こんなことがいろいろ重なったら、仕事を楽しめないのはわりと普通である。
なので、「仕事を楽しめない自分はどっかおかしいのではないか」などと考える必要はない。
むしろ、いつも仕事が楽しいという方が珍しい。
仕事には役割があるので、嫌なことがあっても簡単に逃げられない。
人間関係のストレスがあっても、その中で働くしかない。休みたいと思っても、仕事があるので休めない。
こうなると、そりゃしんどい。
けども、仕事を楽しめないのが当たり前だからといって、ずっと我慢する必要もない。
それでは人生を浪費するだけである。
仕事って人生のかなりの時間を使う。
その時間がずっと苦痛で、残りの時間も仕事のことで消耗しているなら、何のために働いているのかわからなくなる。
なので、「仕事は辛いものだから仕方がない」と諦める必要はないのである。
「働きたくない」はそんなにおかしいことではない
同じように、「働きたくない」と思うことも、それほどおかしな話ではない。
仕事がしんどい。
人間関係も悪い。
労働条件もきつい。
忙しすぎる。
努力しても成果につながらない。
どうでもよい仕事が多い。
こんな状態なのに、「働きたくないと思うのは甘えだ」と言われても、無理ゲー感しかない。
「働きたくない=甘え」と考えるのは簡単である。
けど、それではそこで思考停止してしまう。
思考停止すると対策が立てられない。
大切なのは、なぜ働きたくないのかを考えることである。
体調が悪いのか。
人間関係がしんどいのか。
働き方が自分に合っていないのか。
やっている仕事そのものが苦痛なのか。
そもそも別にやりたいことがあるのか。
理由が違えば、対応も変わる。
なので、「働きたくない」と思ったら、自分を責めるより、その理由を分析した方がよい。
仕事の意味は欲望・関心で変わる
ここで重要になるのが欲望・関心である。
ぼくらは欲望存在である。
何かを「楽しい」と感じたり、「意味がある」と感じたりするのは、自分の欲望・関心との関係で決まってくる。
例えば、出世したい人なら、仕事で頑張ることに意味を感じるかもしれない。
一方、遊んで暮らしたい人なら、同じ仕事でもまったく意味を感じないかもしれない。
新しいことを知りたい人なら、仕事を通して勉強できることが楽しいだろう。
逆に、仕事以外のことに時間を使いたい人なら、仕事のために勉強し続けることは苦痛かもしれない。
なので、「仕事には意味があるのか」という問いに、万人共通の答えはない。
意味って欲望・関心に応じて感じるものであり、何に意味があるかはその時々で変わるからである。
仕事の意味がわからなくなったら、まず自分は何を欲望し、どんな関心をもっているのかを整理した方がよい。
それを無視すると、仕事もプライベートも楽しくなくなる。
自分が何に意味を見いだすかわからないままなので、ずーっと彷徨い続けることになるからである。
仕事そのものが楽しいなら、それもよい
では、仕事はあくまでツールであって、それ自体を楽しんではいけないのか。
もちろん、そんなことはない。
仕事を楽しめないのはわりと普通であるけども、だからといって仕事が絶対に楽しくないわけでもない。
お客さんに喜ばれてうれしい。
成果が出て達成感がある。
新しいことがわかって面白い。
自分の得意なことを使える。
好きな人たちと一緒に働ける。
そういうことはいくらでもある。
ぼく自身、作業療法士という仕事を頑張ることで、患者さんが障害をもっても自分の人生を生きられる可能性の幅を広げることができると考えてきた。
その過程を支援できれば、ぼくら作業療法士もやりがいを感じる。
こうなると、仕事は単にお金を得るだけの手段ではない。
仕事そのものが、自分の欲望・関心を満たす作業になっている。
なので、仕事が人生の目的になる人だっているだろう。
それはそれでいい。
ただし、「仕事は人生の目的でなければならない」に変わると話がおかしくなる。
そうではない人もいるからである。
頑張るなら将来の自分を助けるために頑張る
仕事を頑張ることも同じである。
頑張りたいなら頑張ればよい。
けども、何のために頑張っているのかは考えた方がいい。
ぼくは、仕事を頑張る理由は自分の未来のためだと考えている。
目先の利益だけを追い求めるのではなく、数年後に大きな果実をとるために、いま何をすべきかを考える。
それで一時的に損することがあっても、最終的に大きな果実をとることができるなら必要経費みたいなもんである。
もう一つは、将来の自分を助ける努力を重ねることだ。
今日頑張ったことによって、明日の自分が少し楽になる。
今年頑張ったことによって、数年後の自分が助かる。
そういう努力なら蓄積していく。
逆に、毎日めちゃくちゃ頑張っているのに、翌日になったら全部ゼロからやり直しではしんどい。
体力も精神力も無限ではない。
なので、頑張るなら頑張るほど将来の自分が楽になるように頑張ればOKである。
ただし、過剰に頑張らない
ここはかなり大切である。
仕事を頑張るなら、過剰に頑張りすぎない方がよい。
例えば、睡眠時間を削って頑張るみたいなのは最悪である。
そんな働き方は長続きしない。
仕事を頑張るのは、自分の未来を少しでもよくするためである。
なのに、頑張りすぎて自分の未来を壊してしまったら本末転倒である。
仕事が辛くて辞めたいと思っているのに、「限界まで頑張ってから辞めよう」と考えるのも危ない。
限界まで頑張ると、そもそも限界が来ているという判断そのものができなくなることがある。
なので、まだ余裕があるうちに動いた方がよい。
頑張ることは大切である。
人生には、頑張ることで切り開ける領野も確かにある。
けども、自分でコントロールできないことを、周囲から追い込まれながら頑張り続ける必要はない。
仕事は大切である。
でも、自分を壊してまで守るほど大切ではない。
仕事は、人生の目的なのか
では、仕事は人生の目的なのか。
ぼくの答えは、基本的には違う、である。
人生の目的は心楽しく生きることだと思っている。
仕事はそのために使えるツールの一つである。
仕事を通してお金を得てもよい。
誰かの役に立ってもよい。
自分の能力を伸ばしてもよい。
やりたいことを実現してもよい。
仕事そのものがめちゃ楽しいなら、とことんハマったってよい。
逆に、仕事はそこそこにして、家族との時間、趣味、旅行、読書、その他のことに人生を使ってもよい。
何がよいかは、その人が何を欲望し、何に関心をもっているかで変わる。
だから、「仕事とはこういうものだ」と決めつける必要はない。
楽しく働きたい人は楽しく働けばいい。
仕事を頑張りたい人は頑張ればいい。
あまり働きたくない人は、できるだけ働かなくても生きていけるよう工夫したらいい。
仕事そのものを人生の目的にしたい人は、それでもいい。
けども、仕事が辛すぎて、毎日しんどくて、自分の人生がどんどん楽しくなくなっているのに、「仕事だから仕方ない」と抱え込み続ける必要はない。
仕事は人生を支えるためにある。
人生が仕事を支えるためにあるわけではない。
ここを取り違えなければ、仕事とはもう少し気楽に付き合えるのではないかと思っている。