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「人生がつまらない」は、目標がないせいではないかもしれない

2018.12.16
人間を考える

「人生に目標がありません。毎日がつまらないです。どうしたら目標をもてますか」

こういう悩みがある。

結論からいうと、人生がつまらないからといって、無理に目標を作る必要はないとぼくは思っている。

そもそも、人生の目標は存在論的には決まっていない。

生まれたときから「あなたの人生の目標はこれです」と決まっているわけではないし、どこかに正解が落ちていて、それを見つけたら人生が急に輝きだすわけでもない。

そんなものは、自分で適当に決めるほかない。

なので、「人生がつまらない→目標がないからだ→目標を作ろう」という話は、わかりやすいけども、ちょっと単純すぎる。

「目標がないからつまらない」は、ほんとうなのか

まず考えた方がよいのは、本当に目標がないから人生がつまらないのか、ということである。

だって、目標をもっていても、毎日つまらなそうにしている人は普通にいる。

「昇進する」「資格を取る」「年収を上げる」「5キロ痩せる」など、立派な目標を掲げながら、毎日しんどそうにしている人はいくらでもいる。

逆もある。

将来どうしたいとか、10年後にどうなりたいとか、そんなことはあまり考えていないけども、好きなことをやって、好きな人と過ごして、毎日そこそこ楽しく生きている人もいる。

だったら、「目標がある=人生が楽しい」「目標がない=人生がつまらない」とはならない。

ここを雑につなげない方がいい。

「人生がつまらないのは目標がないからだ」という考え方は説得的かもだが、そこで決めつけると、ぶっちゃけ思考停止になりかねない。

思考停止すると対策が立てようがない。

本当は仕事がつまらないのかもしれない。人間関係がしんどいのかもしれない。毎日同じことばかりで飽きているのかもしれない。本当はやりたいことがあるのに、それをずっと無視しているのかもしれない。

そういう可能性を全部飛ばして、「目標さえ作れば何とかなる」と考えても、的外れになるかもしれない。

例えば、仕事に飽きるのはわりと普通に起こる。

どんな仕事にもルーチンワークがあるからである。

研究でも教育でも、執筆でも、同じことを繰り返しているとマンネリ化する。

ぼく自身をふり返ってもわりと当てはまる。

そんなとき、「人生の目標がないからだ」と考えて壮大な目標を作っても、目の前のマンネリはそのままである。

だったら、まず仕事の仕方を変えるとか、新しいことを始めるとか、環境を変えるとか、そっちをやった方がよいかもしれない。

問題が違えば、対策も違う。

当たり前の話である。

目標より先に、欲望をみた方がいい

ぼくは以前、仕事もプライベートも楽しくない人は、欲望を無視していることがあると書いた。

ぼくらは根っこのところで欲望存在である。

「楽しい」「楽しくない」といった物事の意味も、欲望を始発点にして見いだされる。

例えば、「出世したい」という欲望をもっているなら、仕事で頑張ることに楽しいと感じるかもしれない。

けど、「遊んで暮らしたい」と思っていたら、同じように働いていても、マジでつまらないかもしれない。

本当は旅行に行きたいのに、お金もないし体力もないので、家でゲームしながらダラダラ過ごしている。

そういう状態なら、「人生つまらない」と思ってもそんなに不思議ではない。

このとき必要なのは、「人生の目標を作りましょう」ではない。

まず、「自分は何をしたいんだろう」と考えることである。

ここは順番が大事だと思う。

ぼくは目標そのものを否定しているわけではない。

むしろ、自分にとって価値ある目標がはっきりすると、何を優先したらよいかがわかるので、目標はかなり便利である。

ぼく自身、Webライティングのスキルを身につけたいと思ったときは、それが自分にとって価値ある目標だったので、くそ忙しくても毎日時間を確保できた。

でも、それは先に「Webライティングという目標を作らなければ」と考えたからではない。

やりたいと思ったからである。

自分の中でかなり強い欲望があって、それを実現するために目標ができた。

こっちが先である。

だから、「どうしたら目標をもてますか」と悩んでいるなら、無理やり目標を考えるより、自分が何に興味・関心をもっているのかを手探った方がよい。

何をしているときは苦にならないのか。

何だったら気づいたらずっとやっているのか。

何をやってみたいのか。

逆に、何が死ぬほど嫌なのか。

そのへんを適当に考えていく。

何も思いつかないなら、新しいことをやってみたらよい。

旅に出てもいい。普段会わない人と話してもいい。読んだことのない本を読んでもいい。行ったことのないところへ行ってもいい。

ぼくは以前、普段の環境にどっぷり身を浸していると、刺激がないので欲望がシャッフルされない、と書いた。

ずっと同じ生活を繰り返して、「やりたいことがない」「目標がない」と考えていても、そりゃ新しいものは出てきにくい。

だったら、ちょっと世界を広げたらよい。

そこで何か面白いと思えば、そっちへ行けばいい。

何も思わなかったら、また別のことをやればいい。

そんな感じで十分である。

もちろん、「目標をもって生きる方がいい」という人は、それでよい。

自分の中の一番強い欲望としっかり結びついた目標があるなら、それに向かって頑張ればいい。

そういう生き方は素敵である。

けど、それだけが生き方ではない。

ぼくたちの社会は、目標を設定して、自己研鑽を積んで、成長して、成果を出す、という物語をわりと好む。

果たしてこの考えでみんなが幸せになれるのだろうか。

もちろん、成長物語に沿って自分の人生を切り開いていくことが幸福につながる人もいる。

ですが、求められるものが成長物語ばかりだと、つらい人だっている。

目標なんか特にない。

でも、ほどほどにご飯を食べられる。

ほどほどに仕事ができる。

ほどほどに好きな人と過ごすことができる。

たまに面白いことがある。

それでいい人もいる。

というか、それで何が悪いのだろうか。

「人生に目標がない」と悩んでいる人は、目標がないことよりも、「人生には目標がなければならない」と思い込んでいることの方がしんどいのかもしれない。

だったら、そこから少し自由になった方がいい。

目標が見つかったら、それに向かえばいい。

見つからなければ、別にそのままでもいい。

いま面白いことがあるなら、それをやる。

なければ、少し世界を広げてみるぐらいでよい。

人生の目標なんて、最初から決まっていない。

自分で適当に決めるほかないのだから、必要になったときに決めたらいい。

ぼくはそう思っている。

Ph.D., OT

Thriver Project代表。吉備国際大学教授。思想ノートでは身近な違和感の奥にある前提を問い直し、分かり合えない世界で人間・社会・自由について考えている。

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